<ご挨拶> 初めてご覧になる皆様に対し、ホームページ公開までの経緯を簡単にお話します。 パソコンを覚えて間もない2003年、ネット上を細かく検索し、あらゆる潜り関係、魚突き関係のサイトを調べて見ましたが、「チョッキ銛」の詳しい情報が見当たらず、優れた手銛の機能がインターネットで紹介されていない現実を目の当たりにし、ショックを受けました。 そこで、自分の知識を幅広く世の中に伝える事で、魚突き愛好者のお役に立てるのではないかと思い、私が造り使用する「銛頭」や「チョッキ銛」の造り方を、ブリーフケースに収め、その画像を元に、インターネットを通して公開するに至ったものです。 当サイトの「手銛塾」は、その後、詳細な画像と解説を付け加え、web公開したものです。 手銛塾公開以前、webで見られなかったチョッキ銛でしたが、公開して以来、当方の指導を参考にした精度の高い自作手銛が、多くの個人サイトでも紹介され、見受けられるようになりました。 各サイトが、自作手銛の伝道役になっている様子で、嬉しくもあり、微笑ましくもあります。 公開当事、彼らに事細かく指導していた事が、懐かしく思い浮かびます。 一方、ネット上で交流のあった若者から、「決してご迷惑はおかけません。詳しい手銛用の金具造りを教えて欲しい。」と電話を頂いた事が有りました。 非常に熱心だった為、親切心で事細かに教えたけっか、その若者によって、オークションサイトや運営するホームページにて、コピー物が販売されるに至りました。 善意で公開し、個別にも熱心に指導してきた結果ではありますが、これが人を騙す、ネット社会の恐ろしさと知りました。悪質なのは大阪のコピー業者による、物まね販売でした。 単なるコピーをして販売している行為に、縁を要りました。 それ以降、詳細な個別指導は取り止めました。 このように、思想と現実とが掛け離れ、受け入れがたい世情も有りますが、私の発信する情報が、数多くの魚突き愛好者のお役に立ち、ネット上に置いてではございますが、「チョッキ銛造り発祥の地」となった事は、手銛造りの伝道師役として、至極光栄と感じております。 以下、過去から現代に至る私の歩んできた道具造りに付いて、簡略した話に移ります。 <手銛への軌跡> 私が当HPで紹介する仕掛けなどにつきましては、過去数十年をさかのぼり、薄れて行く記憶をたどりながら、至極簡単では有りますが、その歴史の糸を紐解いて行く事と致します。 仕掛は、師匠はもとより関東や関西の諸先輩方の仕掛けを自分なりに扱い易く改良を加えた物で、互いに切磋琢磨しながら研究てきた物です。 私が語れるのは1980年代初期からで、現代のようなネット社会でもなく、事細かな情報などは乱れ飛んでおらず、手銛に転換できる小道具の情報も乏い時代でした。 その様な時代において、諸先輩が工夫に工夫を重ねて来た物だと申し上げます。 まず、80年代の手銛はと言いますと、羽式の1本銛が主流だったと思い出されます。 尊敬する(故)篠原氏の手銛は無論、当時私が使っていたアクアラング社の物にしても、形状こそ違えど、同じ羽式でした。 しかし、大物と対じするにあたり羽式では限界も有り、大型魚を撃つと羽根が壊れたり、身切れなども多く発生してしまう為、後に改良を加える事になって行った訳です。 この羽式の1本銛にラインをくくりつけ、魚に刺さると手銛本体から離脱出きる様に改良を加えたのが、1980年代中期だったと思います。 この改良がチョッキ銛の発端となる訳です。 これはこれで十分機能をはたしましたが、いかんせグラツキが大きく、先端金具を痛めやすいのが欠点でした。 それからわずか後、カジキマグロの突きん棒漁で使われるチョッキの小型の物を使うようになりました。 これが現代私らが使うチョッキ銛の原型となる訳です。 しかし、このチョッキは、先端部に大きな返しが有る為、軽い手銛で使用するには貫通性能が劣りました。 そこで誰もが思いつくのは、返しを切断する事でして、更なる改良を始めた訳です。 そしてついに、1980年代後期、尊敬する先輩方が現在の銛頭を考案し、試作品をいち早く島へ持ち込んでくれたので有ります。 短期間に改良が行われてきた訳でなく、一重に先輩方の研究と努力のお陰なのです。 したがって、諸先輩の試行錯誤無くして、現在に至る手銛の事など語る事は出来ないのです。 この1980年代後期、手銛の改良には技術を伴う為、当時そのノウハウを持った人が少なく、 私を含めてもほんの数名の人によって密かに造られ、改良に改良を加え続けられて来たのです。 それが、皆様も知る現代の完成型「チョッキ銛」と云う事になる訳です。 当時の銛頭はと申しますと、丈夫な外径8mm径が主流でして、これを造っていた先輩達と同時期に、私も製作を開始する事になる訳です。 金物技術を持った人らの間では情報交換も有り、特に銛頭の情報は、仲間内で即座に広まりました。 その頃、関東の先輩方が好んで使用した材質は、とにかく丈夫だとの理由で外径8mmの工具硬材が多かったと思います。 関西の先輩方も、やはり8mmが主流でしたが、貫通性能に優れる7mmの材質に移行して行きました。 私は8mmを好まず錆を嫌っていた事も有り、初頭からSUS7mm径を取り入れて造っておりました。 その後、現在に至るまで一貫して「ステンレス7mm」にこだわっています。 元々、金物工場でつちかった技術が有りましたので、自分なりに削り、試行錯誤の後、今の形に落ち着きました。 現代においては、私が長い間推奨してきた7mm径が主流になっているのではないでしょうか。 手銛造りにおきましても、篠原氏の優れた手銛がイメージベースになっております。 水中銃の規制が厳しい昨今、いかに水中銃の性能に近づく手銛が出来るか、先人の優れた手銛を越える手銛が出来るかの挑戦でも有りました。 自作手銛製作に付いても、長い期間にわたり何本も試行錯誤して造り完成し、これなら誰にでも手軽に自作出来ると考え、2004年、web上で公開に至った物です。 その完成度、使い勝手、強度などは1年以上実戦で試し、20kを超える大物を捕獲しており、その結果が証です。 私は手銛という物を幼少の頃から使用して参りました、その長い経験に基づきチョッキ銛を熟知してきた結果の完成型が梅田式手銛でもあります。 無論、チョッキ銛で扱う仕掛や銛先のルーツは「古代銛」であり、古くから銛漁で使われてきた「離頭銛と銛頭」なのです。 現代で言えば、ミサキ・チョッキリ・モリッパなどと呼ばれる銛頭だと思っております。 先人である古代の漁師さんの知恵に対しましても感謝してなくてはなりません。 私は諸先輩方と共に切磋琢磨し、手銛の改良をして参りましたし、現在でも共に研究に励んでおります。 その事をこのHPを通じて広く世の中へ教え伝えているに過ぎず、どれをとっても諸先輩、先人の功績が大きいのです。 更に付け加えれば、自分の道具の進化に付いてこのように語れるのも、共にその時代を生きてきた証しであり、これこそが私の歩んできた「軌跡」だと思っております。 そこで誠に勝手ながら、先人の功績を讃え、名品と歌われた幻の手銛をご紹介させて頂きます。 |
篠原手銛 |
ご紹介する手銛、この精度の高い手銛の出現によって、どれだけ多くの突き人が、新たなる魚突きに魅せられ、夢と希望、そして勇気を与えられた事でしょう。 当事、若輩だった当方も、その内の1人でした。 これは、当方が、過去から現在において所有した篠原手銛6セットのうち、現存する物、4セットです。 製作時期は、1980年代中期から1990年代初期の物だったろうと記憶しております。 それを、上から順に、ご紹介いたします。 @上、2セットはスタンダード2本継ぎ、バックシャフトストレート物で、長さ約1800mmX2です。 A真ん中が、当事特注バージョンの、両端テーパーシャフトで、長さ約1800mmX2です。 B下の短い物が、3本継ぎで、長さ約1500mmX2・1000mmの組み合わせで、バックはストレートです。 篠原手銛は、3本継ぎも2本継ぎも、長さの違う何種類かのパターンで製作してあります。 特に、先端金具は試行錯誤されており、外観では判り難いですが、数種類が存在します。 私は、自分の置かれた環境からして、工夫された幾種類の篠原手銛を目にして参りました。 現在、展示室に飾ってありますが、幾度眺めても、SUS631系の美しい輝きに見とれてしまいます。 当方としては、見たことも無いであろう、後発の方々にお見せする為にも、諸先輩の功績を知ってもらう為にも、展示しております。 先人のたゆまぬ努力と成果、実績があってこそ、現代の手銛、梅田式手銛も存在します。 様々な面で勉強させて頂いた篠原氏に感謝し、敬意を込めてご紹介させて頂きました。 |